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ホーム >> 東紀州百科事典 >> 民俗・文化・歴史 >> 熊野市百科大事典:熊野市 『熊野市に付いて 』  < くまのしだいひゃっかじてん:くまのし 『くまのしについて』 >
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ジャンル: 民俗・文化・歴史 | 自然・風土・環境 | 方言・郷土料理・物産 | 行政・統計・経済

民俗・文化・歴史 熊野市百科大事典:熊野市 『熊野市に付いて 』  < くまのしだいひゃっかじてん:くまのし 『くまのしについて』 > < 熊野市(旧熊野市、旧紀和町) >
市ができたのは、1954年(昭和29年)11月3日、1つの町と、7つの村が合併しました。
当時の人口は約3万3千。(今は、2万1千を切っています。 過疎問題)その日は、昼は旗行列、よるは提灯行列で祝いました。旗行列とか提灯行列とか知ってますか?
記念の歌 もありました。
熊野市百科大事典:熊野市 『熊野市に付いて 』
熊野市百科大事典:熊野市 『熊野市に付いて 』 初代の市長は、 小林 と言いました。この人は画家でもありました。
二代目は坪田と言います。この人は、長いこと市長をしました。今の市長は四代目と思います。

熊野市というと和歌山県のように思われますが三重です。
市の名前を決めるのは大変だったようです。
市の名前

合併した市の名前を決めるのはいつでも難しいことです。
合併 8町村 の内、唯一の町、 木本町 は当然その名前を市に付けることを望みました。 NO.2の、 有井村 は強く反発、有木市などという妥協案みたいな名前も浮かんでは消え、結局、熊野市になりました。熊野市史を読むと、色々市名の候補はあったが、すんなりと決まったように書いてありますが、とてもきれいごとではなかったようです。
一方、和歌山県の 新宮市 は、これに反対したそうです。正式なものではないと推測しますが知りません。熊野市のあるところは熊野ではないと主張したそうです。新宮市自体が、熊野市という名前に変えたいという気持ちもあったと言う噂もありました。もちろん反対したとて早い者勝ちであります。
当地は 熊野 といわれる地域の東端です。紀州藩時代には、口熊野、奥熊野に分けられていましたがその内奥熊野です。私の父などは、熊野市という名前に違和感を持っていたようで、そのせいか、私もなんとなく違和感を持っていました。特に、和歌山県と間違えられるのは迷惑でありました。
この、熊野市という名前については、その後も「熊野市は熊野でない」というクレームがあったようです。 「熊野市史」 を読むと、その編纂の目的の中に、熊野市という名前の正当性を論証することが入っていますから。坪田市長(二代目の市長です)には、熊野市という名前の事で余程口惜しいことでもあったのだろうか、と想像してしまいます。確かに、現在では、熊野の中心地は熊野三山でありましょうが、日本書紀の当時から熊野市の市域は熊野の一部であったことは間違いありません。

データ
参考文献
  熊野市百科大事典
その他関連情報
  なし


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