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ホーム >> 東紀州百科事典 >> 民俗・文化・歴史 >> 木本・尾鷲の交通  < きもと・おわせのこうつう >
東紀州百科事典

ジャンル: 民俗・文化・歴史 | 自然・風土・環境 | 方言・郷土料理・物産 | 行政・統計・経済

民俗・文化・歴史 木本・尾鷲の交通  < きもと・おわせのこうつう > < >
木本・尾鷲の交通 大阪、名古屋からは国道42号線です。木本ー尾鷲間の矢の川峠(「やのこ」と読みます)は、1968年に下をトンネルが通りましたが、昔は高度800M迄あがる難所でした。冬の晴れた日には300KM以上先の富士山が見えたそうです。
矢の川峠の索道 - 「紀州」昭和12年鉄道省発行の観光案内書から

1922年から、鉄道が通る1959年までは、ここを国鉄バス、その前は省営バス、が、1927年から1936年の間は一部索道連絡で、連絡していました。索道連絡は、今のスキー場のリフトみたいなものを想像していましたが写真で見るとキャビンがついています。立派なものです。バスが通いはじめた頃には道幅わずか6尺(1.8M)だったそうです。このバス路線は開業から廃止まで無事故を誇っていました。私は結局矢の川峠を越えたことはありませんでした。旧峠道はもう廃道です。一度歩いてみたいものだと思っています。
木本・尾鷲の交通
木本・尾鷲の交通 木本ー尾鷲間の海岸沿いは、巡航船が唯一の交通手段でした。内海丸という船名を覚えています。三等船室は船底で畳敷きでした。大人はそこで寝ていました。子供は舳先に行ったり、艫に行ったり忙しかったです。私は余り船酔いはしない方でした。右は尾鷲港の巡航船です。 「岩波写真文庫」 です。こうみると、思ったよりも大きい船ですね。
船への乗り降りは、はしけを使いました。木本は桟橋がないので脇の浜(七里御浜の北東端でここから磯になる)から30m位沖合いに、巡航船が泊まります。脇の浜は少しは波がないのではしけを浜に乗り上げるまで近づけて、はしけに板を渡して乗り込みました。他の寄港地は湾になっていますので少しはましですが、巡航船が接岸できるところは無かったと思います。(尾鷲が接岸できたかもしれないが覚えていません。)すべて、はしけで乗り降りしたのです。 木本・尾鷲の交通
木本・尾鷲の交通 左の写真は、「岩波写真文庫」 からとったのですが、巡航船側からはしけが近づいて来る所を撮ったものです。どこか分からなかったのですが、読者の方がお父さんに聞いてくれたところ、古江だとわかりました。岸を見てください。岸壁が石垣ですね。昔はどこの港もそうでした。自動車が入るようになるとこれが皆コンクリートに変ります。車が走れるようにするためです。

データ
参考文献
  なし
その他関連情報
  なし


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