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東紀州百科事典

ジャンル: 民俗・文化・歴史 | 自然・風土・環境 | 方言・郷土料理・物産 | 行政・統計・経済

民俗・文化・歴史

新着情報

民俗・文化・歴史 日与加久良(帆ヶ倉) <ひよがくら>  
国道311号を走っていると、御浜町神木の山の上に大岩が見えます。ずっと気になっていたところへ行ってみました。そこは・・・・・御浜町神木(こうのぎ)木和田地区集落を見守る神様として古くから信仰のあった地です。
登り口に標識も何もなく、個人のお宅の道を入るように畑の道を抜けて登り口にたどり着きました。
近所の方にたまたま声をかけ、よくご存知の方だったので入り口まで連れて行ってくれました。
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日与加久良(帆ヶ倉)

民俗・文化・歴史 花の窟湯立釜 <はなのいわやゆたてがま>  
熊野市有形民俗文化財に指定されている花の窟湯立釜。
世界遺産 花の窟神社においては、かつて、毎年花の窟の祭りの日に、朝廷から「錦の幡」が献上されていましたが、ある年、熊野川の洪水によって流されてしまい、それ以来途絶えてしまったと言われています。
「錦の幡」も本宮大社に置かれるようになり、その宝も洪水の時に失ったとされており、現存する宝物としては、花の窟湯立釜と花の窟図 版木 菱川廣隆原画の2つのようです。
花の窟湯立釜は、熊野市歴史民俗資料館に置かれています。
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花の窟湯立釜


民俗・文化・歴史 民俗・文化・歴史 情報一覧

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熊野市百科大事典:雑記帳 『三重県の100年』 <くまのしだいひゃっかじてん:ざっきちょう 『みえけんのひゃくねん』>
先日、三重県の百年という本を見つけて読みました。思ったのは、一体、東紀州地域というのは三重県なんだろうかと言うことです。余りにも取り上げられかたが少ない。この本の中で、一般的に、例えば三重県全体の中で他地域とまとめて触れられている場合を除き、具体的にその地域の事件事項として触れらている場合を抜き出すと、南牟婁で7件、北牟婁で12件です。本文338ページの本ですよ。どうなっているんでしょうね。

熊野市百科大事典:地理 『国々湊くらべ』 <くまのしだいひゃっかじてん:ちり 『くにぐにみなとくらべ』>
いつの出版なのか分かりませんが、江戸時代に作られた湊の番付です。 二木島 は前頭に有ります。版元は泉永堂です。

熊野市百科大事典:地理 『昭和 2年の交通事情』 <くまのしだいひゃっかじてん:ちり 『しょうわにねんのこうつうじじょう』>
昭和 2年の交通事情
昭和 2年 ( 1927 ) 、サンデー毎日は「日本新八景」及び「日本新百景」の選定を行い、全国に推薦投票を呼びかけました。鬼が城は木本町民等の大運動の結果、第 8位にランクされました。このとき、サンデー毎日は各地の名勝に有名人を派遣して交通案内記を書かせています。近畿では、前田三男氏が、名勝 11ヶ所を回りましたが、その記事の殆どを木本への交通事情の説明に費やしています。( 「サンデー毎日 昭和 2年 9月 4日号。原文は、振り仮名がついていますが省略しました。また、読みやすいように段落を切りました。)

熊野市百科大事典:地理 『鉄道』 <くまのしだいひゃっかじてん:ちり 『てつどう』>
鉄道 は紀勢本線です。全通は1959年。1940年に大阪からの紀勢西線が 木本 まで通じました。駅名は紀伊木本と言いました。それから長い間、木本は終着駅でした。 1956年に少し先の 新鹿(あたしか) まで伸び、 1959年新鹿、賀田間が開通、紀勢西線と東線とが繋がって全通したのです。

熊野市百科大事典:地理 『奈良へ』 <くまのしだいひゃっかじてん:ちり 『ならへ』>
奈良へは国道169号線が走っています。伯母峰峠を越える道です。今はトンネルが峠の下を通っています。 神武天皇 が通った道でしょうか?
奈良大仏前行きのバスが一日一便ありましたが今はどうでしょう。
この道は1968年頃、走ったことがありますが、当時でも細いところはバス一台がやっとの幅の所もある恐るべき道でした。この道も大台が原山への観光ルートになってすっかり良くなりました。

熊野市百科大事典:地理 『日本船路細見記』 <くまのしだいひゃっかじてん:ちり 『にほんせんろさいけんき』>
江戸時代の船の航路の案内書です。二木島が「上下の大みなと」であると書いてある所を写しました。

熊野市百科大事典:地理 『昔の街道』 <くまのしだいひゃっかじてん:ちり 『むかしのかいどう』>
昔であれ、今であれ、村村があればそれらをつなぐ道があります。この地方の主要な街道は、熊野街道(伊勢道)、本宮街道、北山街道です。
最近、これらの街道を 熊野古道 として歩けるように整備しています。 ガイドマップ もできました。是非、歩いて見てください。

熊野市百科大事典:地理 『明治日本旅行案内』 <くまのしだいひゃっかじてん:ちり 『めいじにほんりょこうあんない』>
アーネスト サトウ (Ernest Satow)という英国の外交官は幕末から明治にかけて、英国の日本駐在の外交官として活躍しました。
彼は、1862年19歳の時から、1882年39歳のまで、はじめは通訳生として、その後、日本語書記官などとして、通算17年間日本に滞在しました。
更に、1895年から5年間は、英国の駐日公使として日本に滞在しました。その間、日本国内を隈なくといっていいほど旅行しました。


彼の日記の内、旅行に関する部分が、 日本旅行日記 として訳出されています。
又、彼はその旅行の成果を、英海軍士官のホーズと共に、日本旅行案内として出版、当時の最善の日本旅行案内でした。これも 明治日本旅行案内 として訳出されています。
そこから、熊野に関する部分を抜き出しました。尚、引用者(私)の注記は、{ }で囲みイタリックにしました。それ以外の注記は、原注又は訳注です。区分は分かると思います。

熊野市百科大事典:イルカボーイズ 『Mr. H. J. Kelly を捜して 』 <くまのしひゃっかじてん:いるかぼういず 『Mr. H. J. Kelly をさがして 』>
松岡典子
わたしが訳したジミー・ウォーカーの本のことが、3月17日付け (2001年) の読売新聞の「編集手帳」に載った。「編集手帳」は、1992年の初来日以来、しばしばイルカボーイズのことを取り上げてくれている。この記事も、ジミーの言葉が適確に捉えられ、また 3月彼岸の入りに合わせて、入鹿の外人墓地を守る村人のことで結ばれたとても心温まる文章だった。わたしはうれしかった。本の邦題の下に出版社と訳者の名前が添えられていた。

熊野市百科大事典:イルカボーイズ 『「戦争捕虜 291号の回想」紹介 』 <くまのしひゃっかじてん:いるかぼういず 『「せんそうほりょ 291ごうのかいそう」しょうかい 』>
ジミー・ウォーカー著、松岡典子訳
三重大学出版会 2000年11月20日発行 1200円

この本は、シンガポールで日本軍の捕虜となり、泰緬鉄道建設に使役され、その後、三重県南牟婁郡入鹿村 (今の同郡紀和町) に送られて、石原産業の銅鉱山で働かされた英軍兵卒 ジミー ウォーカー の回想記です。

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