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日与加久良(帆ヶ倉) <ひよがくら> |
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国道311号を走っていると、御浜町神木の山の上に大岩が見えます。ずっと気になっていたところへ行ってみました。そこは・・・・・御浜町神木(こうのぎ)木和田地区集落を見守る神様として古くから信仰のあった地です。 登り口に標識も何もなく、個人のお宅の道を入るように畑の道を抜けて登り口にたどり着きました。 近所の方にたまたま声をかけ、よくご存知の方だったので入り口まで連れて行ってくれました。
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花の窟湯立釜 <はなのいわやゆたてがま> |
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熊野市有形民俗文化財に指定されている花の窟湯立釜。 世界遺産 花の窟神社においては、かつて、毎年花の窟の祭りの日に、朝廷から「錦の幡」が献上されていましたが、ある年、熊野川の洪水によって流されてしまい、それ以来途絶えてしまったと言われています。 「錦の幡」も本宮大社に置かれるようになり、その宝も洪水の時に失ったとされており、現存する宝物としては、花の窟湯立釜と花の窟図 版木 菱川廣隆原画の2つのようです。 花の窟湯立釜は、熊野市歴史民俗資料館に置かれています。
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民俗・文化・歴史 情報一覧 |
熊野市百科大事典:地理 『昭和 2年の交通事情』 <くまのしだいひゃっかじてん:ちり 『しょうわにねんのこうつうじじょう』> |
昭和 2年の交通事情 昭和 2年 ( 1927 ) 、サンデー毎日は「日本新八景」及び「日本新百景」の選定を行い、全国に推薦投票を呼びかけました。鬼が城は木本町民等の大運動の結果、第 8位にランクされました。このとき、サンデー毎日は各地の名勝に有名人を派遣して交通案内記を書かせています。近畿では、前田三男氏が、名勝 11ヶ所を回りましたが、その記事の殆どを木本への交通事情の説明に費やしています。( 「サンデー毎日 昭和 2年 9月 4日号。原文は、振り仮名がついていますが省略しました。また、読みやすいように段落を切りました。)
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熊野市百科大事典:地理 『奈良へ』 <くまのしだいひゃっかじてん:ちり 『ならへ』> |
奈良へは国道169号線が走っています。伯母峰峠を越える道です。今はトンネルが峠の下を通っています。 神武天皇 が通った道でしょうか? 奈良大仏前行きのバスが一日一便ありましたが今はどうでしょう。 この道は1968年頃、走ったことがありますが、当時でも細いところはバス一台がやっとの幅の所もある恐るべき道でした。この道も大台が原山への観光ルートになってすっかり良くなりました。 |
熊野市百科大事典:地理 『明治日本旅行案内』 <くまのしだいひゃっかじてん:ちり 『めいじにほんりょこうあんない』> |
アーネスト サトウ (Ernest Satow)という英国の外交官は幕末から明治にかけて、英国の日本駐在の外交官として活躍しました。 彼は、1862年19歳の時から、1882年39歳のまで、はじめは通訳生として、その後、日本語書記官などとして、通算17年間日本に滞在しました。 更に、1895年から5年間は、英国の駐日公使として日本に滞在しました。その間、日本国内を隈なくといっていいほど旅行しました。
彼の日記の内、旅行に関する部分が、 日本旅行日記 として訳出されています。 又、彼はその旅行の成果を、英海軍士官のホーズと共に、日本旅行案内として出版、当時の最善の日本旅行案内でした。これも 明治日本旅行案内 として訳出されています。 そこから、熊野に関する部分を抜き出しました。尚、引用者(私)の注記は、{ }で囲みイタリックにしました。それ以外の注記は、原注又は訳注です。区分は分かると思います。 |
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